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東京地方裁判所八王子支部 平成8年(ワ)381号 判決 1998年4月03日

原告

遠藤敏夫

被告

海老名宏昌

主文

一  被告は、原告に対し、金二五五万七八一七円及びこれに対する平成二年一月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三二八〇万七三七四円及びこれに対する平成二年一月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が普通乗用自動車を運転中、センターラインをはみ出してきた被告の運転する普通乗用自動車により衝突された事故につき、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。

一  基礎となる事実

1  交通事故

原告は、平成二年一月二一日午後一一時五分頃、就業場所である立川バス株式会社国立営業所から自宅に向って普通乗用車を運転中、東京都町田市山崎町二〇九番地先路上において、対向車線から道路中央線を越えて進行してきた被告の運転する普通乗用車に正面衝突され、受傷した(以下「本件交通事故」という。本件交通事故の日時、場所については争いがなく、その余の事実は弁論の全趣旨により認められる。)。

2  受傷内容及び治療の経過

(一) 原告は、平成二年一月二一日、多摩丘陵病院(東京都町田市下小山田町一四九一番地所在)に運ばれ、同日以降、頸椎捻挫の傷病名のもとに通院加療し、その際、原告は、頸椎の疼痛を訴えていた(甲三の1ないし4、乙五)。

(二) 原告は、同年二月二一日以降は、原町田病院(東京都町田市原町田六の二八の一五所在)において、頸椎捻挫、右肩関節挫傷、両大腿挫傷及び腰部捻挫の傷病名で通院治療を受けた。同病院は、初診時には、原告に頸部の疼痛、頭痛頻発、目のかすみ、肩凝り、腰痛、両大腿の痺れ感及び膨張の諸症状が認められるとしたが、同年五月一七日、諸症状が軽快したとして治療を中止した(甲三の1ないし4、六、乙五)。

(三) なお、原告は、平成二年四月九日、関東労災病院(川崎市中原区木月住吉町二〇三五番地所在)においても、頭部外傷後遺症の疑いがあるとして検査を受けている(甲四)。

(四) 原告は、平成二年五月一八日から職場に復帰してバスの運転手として通常業務に就労していたが、しばらくして頑固な頭痛を覚えるようになり、職場も時折休むようになった。このため、原町田病院の加藤春一医師(以下「加藤医師」という。)は、同年九月二九日、かざまクリニック(東京都町田市原町田四―二〇―一八所在)に対し、後遺症の有無を判定するため、原告に対する検査を依頼した(甲五の1)。

(五) 原告は、平成二年一〇月一日、かざまクリニックにおいて脳波検査を受けた。同クリニックの風間興基医師(以下「風間医師」という。)は、原告には、本件交通事故以来、頭重・頭痛、肩の痛み・凝り、疲労感等が続いており、同日の脳波検査では、脳波上、前頭部から頭頂部領域で、徐波(シーター波)が散発的に、あるいは連続して出現しており、徐波成分の出現により軽度異常があるとの判定をした(甲五の2ないし4、乙五)。

3  症状固定の診断1

(一) 原町田病院の加藤医師は、平成二年一〇月一一日、原告に対し、傷病名を頸椎捻挫・挫傷、右肩関節挫傷、両大腿挫傷及び腰部捻挫とし、これらによる後遺障害として、自覚症状として頑固な頭痛があり、他覚症状として軽度の脳波異常が認められる旨診断し、右症状固定日を右同日と判断して、その旨の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲六)を作成した。

(二) その後、かざまクリニックの風間医師は、平成三年三月一八日、原告の傷病名を頭部打撲とし、これによる後遺障害について、自覚症状としては頭痛、頭重感及び酔ったような気分があり、他覚症状としてはアルファー波の出現は正常範囲内であり、シーター波が一過性に散発的に、あるいは連続して(〇・五秒以内)出現しているが、これは平成二年一〇月一日の検査所見よりは若干改善されている旨判断するとともに、右症状固定日を平成二年一〇月一一日とし、障害内容の増悪・緩解の見通しについて、原告の脳波所見の変化から徐波成分と本件交通事故との因果関係がある可能性は大であり、漸次、軽快に向かうことが予想されるが、まだ自動車の運転は困難であろうとの診断をし、同年四月一八日、その旨の自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書(甲八)を作成した。

4  休業

原告は、頑固な頭痛による運転中の頭部緊迫感などの症状を覚え、平成三年一月二五日、加藤医師の診察を受けたところ、同医師から、同月二七日より休業、安静するようにいわれ、同日以降、休業し(甲七の一ないし3、八)、同年四月二七日には、勤務先の会社から休職を命じられた(甲一七)。

5  示談

原告は、平成三年四月三〇日、被告及び大東京火災海上保険株式会社(以下「訴外会社」という)との間で、本件交通事故による人身損害についての損害賠償金として、原告が被告及び訴外会社から受領済みの一七二万〇〇〇八円のほかに五二万円を受領したときは、原告と被告及び訴外会社相互間には、他に何らの債権債務のないことを確認するとともに、右人身損害には、本件交通事故に起因する後遺障害によるものは含まないこととして、将来右後遺障害が原告に発生したときは、医師の診断、公的機関の認定に従って、右三者が別途に協議して解決する旨の示談をした(以下「本件示談」という。示談が成立したことは争いがなく、その余の事実は甲九により認められる。)。

原告は、本件示談後も、頑固な頭痛や手足のしびれがあるとして、かざまクリニック及び原町田病院において通院治療を継続し(甲一〇の2ないし4、乙六ないし八)、関東労災病院においても検査等を受けた(乙一ないし三)。

6  労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく保険給付の申請

原告は、平成三年九月一一日、同年一月二七日以降の休業に関する労災保険給付の支給申請をしたが、立川労働基準監督署長は、同年一二月二〇日、不支給の決定(以下「原決定」という。)をした(甲一一)原告は、原決定を不服として、平成四年二月一〇日、労災保険法に基づき審査請求をしたところ、東京労働者災害補償保険審査官は、平成四年一〇月一二日、原決定を取り消す旨の決定をした(甲一二、乙五)。

7  症状固定の診断2

原町田病院の丹羽信善医師(以下「丹羽医師」という。)は、平成四年一一月一七日、原告の労災保険による休業給付支給請求書、休業特別支給金支給申請書の「診療担当者の証明」欄において、傷病名を変形性頸椎症、頸腕症候群として、同年一月三一日に症状が固定した旨の診断をした(甲一三)。

8  労災保険給付の支給

立川労働基準監督署長は、平成四年一二月八日、原告の平成三年一月二七日から同年七月二五日までの休業に対し、同年一二月一五日には、原告の平成三年七月二六日から新たな症状固定日である平成四年一月三一日までの休業に対し、それぞれ労災保険による休業給付等の支給を決定した。右決定により原告に対し支給される休業給付は合計二〇一万八三五〇円であり、特別支給金は合計六七万二六六〇円である(甲一四、一五の各1、2)。

立川労働基準監督署長は、平成五年四月二七日、原告の後遺障害が一二級に該当するとして、一時金給付等の支給決定をし、原告に対し、障害一時金として金一四六万〇九四〇円、障害特別支給金として二〇万円、障害特別一時金二九万二三四四円(合計一九五万三二八四円)をそれぞれ支給する決定をした(甲一六)。

9  後遺障害の認定

自動車保険料率算定会町田調査事務所長は、平成三年六月一四日、原告の後遺障害について、後遺障害等級「非該当」との認定をしていたが、同七年一月一七日、同認定を取り消し、あらたに原告の後遺障害が自賠法施行令二条の別表記載の一二級一二号の等級に該当する旨認定した(争いがない。)。

10  解雇

原告は、その後も休職していたが、勤務先の会社から、平成七年四月三〇日付けで休職期間の満了(労働協約四四条の四)を理由として解雇された(甲二四)。

二  争点

1  原告の症状は、いつ固定し、後遺障害は何か。

2  症状固定日が平成四年一月三一日と認定される場合、平成二年一〇月一一日に症状が固定したことを前提とする本件示談には、無効原因があるか。平成四年一月三一日までに生じた傷害による損害のうち、本件示談の対象となっていないものはあるか。

3  後遺障害による損害はいくらか。

三  原告の主張

1  本件交通事故に起因する原告の傷害の症状固定日は、平成四年一月三一日である。

2  したがって、原告は、被告に対し、平成二年一〇月一一日にいったん症状固定の診断を受けた後、平成四年一月三一日に改めて症状固定の診断を受けるまでの間に被った次の損害について、賠償請求権を有する。

(一) 治療費関係(未払分) 合計金一七万一一七〇円

(1) 治療費及び診断書代 金五万三五三〇円

(2) 関東労災病院の治療費 金七万七六四〇円

平成三年一〇月三〇日から同年一一月二九日までの間の通院治療費のうち自己負担分である。

(3) 通院交通費 金四万円

平成二年一〇月一二日から同四年一月三一日までの間の通院交通費である。

(二) 休業損害 金二六四万七九四四円

平成三年一月二七日から同四年一月三一日(症状固定日)までの三七〇日間の休業について、本件交通事故発生の前年の年収四六〇万三二三六円から、労災保険で支給された休業給付(ただし、特別支給金を除く。)相当額である二〇一万八三五〇円を控除し、これに五日分(右三七〇日―三六五日(一年間))の金六万三〇五八円を加えたものである。

(三) 通院慰謝料 金一四〇万円

原告は、平成三年一月二七日から平成四年一月三一日(症状固定日)までの間に、原町田病院、かざまクリニックに合計一〇〇日通院し治療を受けた。これに対する慰謝料は一四〇万円とするのが相当である。

3(一)  本件示談は、症状固定日が平成二年一〇月一一日であることを前提として合意されたものである。

しかし、症状固定日は、平成四年一月三一日に変更されているのであり、もし本件示談の当事者が、変更前の症状固定の判断が誤っており、右示談の合意をした時点においては未だ症状が固定していないことを認識していたならば、本件示談の合意はしなかったことは明らかであるから、当初の症状固定日を前提としてなされた本件示談は、法律行為の要素に錯誤があり、無効と解すべきである。

(二)  仮に、本件示談が無効であるとまではいえないとしても、右示談において、被告らが原告に対し支払うべき損害賠償金とされたものは、最初に症状固定日として診断された平成二年一〇月一一日までの間に発生した治療費、交通費、休業損害及び通院慰謝料等の損害であり、当初の右症状固定日以降、変更された症状固定日に至るまでの間に発生した損害については、原告が被告に対して請求をしない旨を約したものではない。原告は、本件示談の際、症状固定日が変更されることを予測しておらず、変更後の症状固定日までの治療費、交通費、休業損害及び通院慰謝料等の損害を賠償請求できることを認識していなかったのであるから、この損害賠償請求は、何ら本件示談の対象とはなっていない。

4  後遺障害に基づく逸失利益 金二一四七万八八三五円

(一) 労働能力喪失率

原告の後遺障害は、前記別表の一二級に該当するから、これを基準とすると、労働能力喪失率は一四パーセントとなる。しかし、原告は本件事故による後遺障害のため、バスの運転業務に従事することができず、症状固定後も休職せざるをえないまま、結局、解雇されるに至ったものである。原告にはバス運転以外にみるべき技能がなく、労働市場は、高齢者に極めて厳しい現状にあって再就職することは困難であるから、労働能力喪失率は少なくとも五〇パーセントとみるべきである。

(二) 労働能力喪失期間

原告の後遺障害は、頸腕症候群、これに起因すると思われる頑固な頭痛、頭重感及び手足のしびれ感等の神経症状が認められ、更に脳は異常による酔ったような気分や意識がぼうっとなるなどの意識障害が認められる。かかる後遺障害は、単純な頸椎捻挫による神経症状であって短期間に消滅、軽快するものと評価すべきでなく、長期間続くものとみられる。本件では、原告の勤務していた会社の定年は六〇歳であるから、症状固定の日から定年となる平成一三年六月一五日までの九年四か月間を労働能力喪失期間と認めるべきである。

(三) 逸失利益の算定基礎となる原告の年収

逸失利益の算定に際しては、昇給を考慮すべきである。

(1) 平成元年(本件交通事故発生の前年) 年収四六〇万三二三六円

(2) 平成四年 年収五四三万五三六三円

(実際には支払われておらず、計算上のもの。以下同じ)

(3) 平成五年 年収五六五万五五三〇円

(4) 平成六年 年収五八六万三五六二円

(5) 平成七年 年収六〇五万〇七九〇円

(6) (平成八年以降の年収額は昇給額をも考慮して決すべきところ、平成元年から平成七年までの年平均昇給額は金二四万円である。)

(7) 平成八年 年収六二九万円

(8) 平成九年 年収六五三万円

(9) 平成一〇年 年収六七七万円

(10) 平成一一年 年収七〇一万円

(11) 平成一二年 年収七二五万円

(12) 平成一三年 年収七四九万円

とするのが妥当である。

(四) 逸失利益の算定

(1) 平成四年の年収の一二分の一一(症状固定日が同年一月三一日のため)五四三万五三六三円×一一・一二×〇・五=二四九万一二〇八円

(2) 平成五年分

五六五万五五三〇円×〇・五=二八二万七七六五円

(3) 平成六年分

五八六万三五六二円×〇・五=二九三万一七八一円

(4) 平成七年分

六〇五万〇七九〇円×〇・五=三〇二万五三九五円

(5) 平成八年分

六二九万円×〇・五×〇・九五二三(労働能力喪失期間一年に対応するライプニッツ係数、以下同じ)=二九九万四九八三円

(6) 平成九年分

六五三万円×〇・五×〇・九〇七〇=二九六万一三五五円

(7) 平成一〇年分

六七七万円×〇・五×〇・八六三八=二九二万三九六三円

(8) 平成一一年分

七〇一万円×〇・五×〇・八二二七=二八八万三五六三円

(9) 平成一二年分

七二五万円×〇・五×〇・七八三五=二八四万〇一八七円

(10) 平成一三年分

七四九万円×〇・五×〇・七四六二=二七九万四五一九円

(五) 右合計金額二八六七万四七一九円から後遺症に対する原告の年齢変化による寄与率二〇パーセントを控除し、更に、労災保険より支給された一時金(ただし、特別支給金を除く。)相当額である一四六万〇九四〇円を控除した金額二一四七万八八三五円を逸失利益として請求する。

(六) 更に、原告は、副業として畳加工の仕事を行っており、その他の事業所得ないし営業所得として、昭和六二年に五〇万円、昭和六三年に九一万円、平成元年に五〇万円を取得していた。この副業は、本件交通事故の後遺障害により作業を行うことができなくなったのであるから、原告は、後遺障害により畳加工による収入を失ったと評価すべきであり、症状固定の日から原告の労働可能年齢(六七歳)までの間、毎年二五万円(年収を五〇万円としその五〇パーセント)を逸失利益として損害認定しなければならない。

二五万円×一〇・八三七七(症状固定の年・平成四年の原告の年齢五一歳から六七歳までの一六年間に対応するライプニッツ係数)=二七〇万九四二五円

5  後遺障害慰謝料 金二七〇万円

6  弁護士費用 金一七〇万円

原告は、本訴訟代理人に対し、日弁連報酬基準に従い弁護士報酬を支払う旨約した。右弁護士報酬の半額にあたる金一七〇万円を損害として請求する。

7  よって、被告は、原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として金三二八〇万七三七四円及びこれに対する不法行為の日の翌日である平成二年一月二二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  被告の主張

1  症状固定日

本件交通事故に起因する原告の傷害の症状固定日は、平成二年一〇月一一日と解すべきである。自賠償保険後遺障害等級一二級一二号と認定された際も、平成二年一〇月一一日症状固定との診断書が前提とされていたものである。原告は、平成二年五月一七日に治療が中止された後は、同年一〇月一日及び平成三年三月一八日にかざまクリニックにおいて脳波検査を受けているだけであるから、症状固定日は平成二年一〇月一一日と解すべきである。

2  示談の成立

原告と被告の間においては、傷害による損害については、平成三年四月三〇日、本件示談が成立しているから、原告の傷害分に関する請求は失当である。

原告は、労災保険が、平成三月一月二七日から平成四年一月三一日までの間の再発認定をしたことを主張するが、労災保険は、労働者の福祉の増進に寄与するという制度目的に従い、独自に再発認定したものにすぎず、労災保険と損害賠償は、制度目的が異なるから、労災保険に基づく再発認定をもって示談の要素の錯誤の主張を基礎付けることはできない。

原告は、平成三年一月二七日に症状が出現して休業状態となり、約二か月後に休職命令が出ている状況の中で、本件示談を成立させたのであるから、傷害部分については、平成二年一〇月一一日の症状固定日をもって解決する意思であったといえる。

3  後遺障害の逸失利益

(一) 原告の後遺障害等級は一二級一二号の神経症状であり、労働能力喪失率は一四パーセントを超えることはなく、労働能力喪失期間も通常の三年ないし五年と解すべきである。原告は、バスの運転手であることを理由に喪失率が高いと主張するが、喪失率は将来の損害に対する擬制であり、一定割合で認定するのが相当であるうえ、原告がバス運転手以外の仕事に従事できる可能性は高いのであるから、通常の一四パーセントを上回るものではないというべきである。

(二) 原告は、計算上の昇給額を基礎にしているが、将来にわたる昇給自体、不確実であり、昇給額を考慮に入れるのは相当でない。

4  寄与度

原告は、加齢変化によるなで肩、頚椎不安定症、ルシュカ突起の尖鋭化などにより椎間孔狭窄を来していることから、自ら後遺障害逸夫利益の二〇パーセントを減額控除している。

原告の加齢変化は、単に後遺障害逸失利益についてのみ影響しているのではなく、更に、原告には、精神的心因的要因の関与も考えられること、平成二年五月一七日治療中止後、四か月余り経過して脳波異常(軽度)が認められていることから、原告の症状の大部分は加齢変化に起因しているとも解され、慰謝料を含めた原告の全損害について減額がなされるべきであり、減額率も二〇パーセントに止まらないというべきである。

5  労災保険支給金の控除(被告の援用しない原告の不利益陳述)

三原告の主張、2(二)、4(五)記載のとおり

第三当裁判所の判断

一  症状固定等(争点1)について

1  加藤医師及び風間医師が、本件交通事故による原告の傷害について、自覚症状を頑固な頭痛、他覚症状を軽度の脳波異常として、平成二年一〇月一一日を症状固定日とする旨診断したことは前記認定のとおりであり、証拠によれば、次の事実が認められる。

(一) 丹羽医師は、加藤医師から原告の診療を引き継ぎ、平成三年八月二七日以降、診療を担当していたが、原告の症状につき、交通事故によるものではなく、原告の持病である変形性頸椎症による症状と診ていた(証人丹羽医師)。また、同医師は、平成四年二月二五日付け、同年六月二日付け、同年一〇月二七日付けの各診断書を作成した際も、「原告は、平成三年八月二七日以降、変形性頸椎症及び頸腕症候群を治療中であるが、この傷病は、本件交通事故による外傷の治療が終了し、症状固定後に訴えたもので、交通事故の傷病の再発、増悪もしくは後遺症によるものではなく、経年性変化による傷病である」旨判断していた(甲六ないし八)。

(二) 丹羽医師は、加藤医師による平成二年一〇月一一日症状固定との診断について 平成三年以降も治療を継続していた原告に対し、既に症状が固定していると断定してしまうことは、患者を見放すことになり問題であるが、はっきりと言うべき時期がくれば、原告にも徐々に分からせる必要があると感じていた(証人丹羽医師)。

(三) 丹羽医師は、平成四年一〇月一二日付け東京労働者災害補償保険審査官の決定において引用される同医師の平成三年一二月一三日付け意見書においても、同様に、平成三年一月二七日以降の治療について、原告の症状は、本件交通事故と因果関係のない傷病によるものであり、レントゲンフィルムにもかかる所見があると判断していた(乙五)。

(四) 丹羽医師は、前記のとおり、平成四年一一月一七日、原告の労災保険の休業給付支給請求書及び休業特別支給金支給申請書における診療担当者の証明欄において、原告の傷病の症状固定日を同年一月三一日と記載し、その旨診断したが(甲一三)、これは、同医師が、労働基準監督署から、労災保険では、原告について一二級一二号の後遺障害を認定することになったので、交通傷害によるものでないものではない趣旨の診断書を書いてもらいたい旨の要請を受けたため、同医師としては不本意ながら右要請に応じてしたものであり、同医師の右診断は、医学的な判断ではなく、労災保険側の要請する趣旨に添ったものであった(証人丹羽医師)。

2  以上の認定事実によれば、丹羽医師が、平成三年八月以降に診療していたのは、原告の持病である変形性頸椎症であり、本件交通事故による傷病の治療を行っているものではなかったこと、丹羽医師は、平成四年一一月一七日付けで、症状固定日を平成四年一月三一日とする診断証明書を作成しているが、これは、労災保険における判断が先行し、同医師が労働基準監督署の要請を受けて、不本意にも右判断に添った内容で作成したにすぎないこと、丹羽医師においても、症状固定日を平成二年一〇月一一日とした加藤医師の判断を妥当なものと考えていたことが認められる。

そうすると、本件交通事故による傷害の症状は、頑固な頭痛、軽度の脳波異常を残して、平成二年一〇月一一日に固定したと認めるのが相当である。

原告は、労災保険における認定により、症状固定日が平成四年一月三一日に変更されたと主張し、東京労働者災害補償保険審査官の決定において引用される石田肇医師(以下「石田医師」という)の鑑定意見には、「原告は、本件交通事故により通勤災害を受け療養を要するほどであったことは事実であり、他方X線所見では頸椎X線像より、なで肩、頸椎不安定症、ルシュカ突起の尖鋭化などにより椎間孔狭窄を来していることは明らかであるうえ、原告については、加齢による変化、精神的要因、将来に対する不安などの要因が考えられるが、適切な理学療法により改善の傾向が見られ、かつ、療養も継続されているので、医学的経験則からして、平成三年一月二七日以降約一年と期限を限って、業務起因性を認め、その後は私傷病とするのが相当である」旨の原告の右主張に添う記載(乙五)がある。しかし、石田医師の右鑑定意見における「医学的経験則からして」というのは、抽象的な表現であり、その意味は必ずしも明確であるとはいい難いこと、丹羽医師が、石田医師のいう椎間孔狭窄は、交通事故におけるような外傷性のものから発生する症状ではない旨述べていること、原告を自ら診察した丹羽医師は、石田医師の右意見について反対の所見をもっていること(証人丹羽医師)等に照らすと、石田医師の判断をにわかに採用することはできない。

3  原告は、平成二年一〇月一一日以降、同四年一月三一日までの間の治療費、通院交通費、休業損害、通院慰藉料等も被告が賠償すべき損害である旨主張するが、右主張は、本件交通事故による傷害の症状が、当裁判所の前記判断と異なる平成四年一月三一日に固定したことを前提とするものであって、失当である。

そして、仮に、症状が固定した平成二年一〇月一一日以後に原告が支出した治療費、通院交通費等があったとしても、それらは、その治療をしなければ後遺障害がより悪化するなど、症状固定後の治療が必要不可欠であって、その治療費として相当な支出がなされたなど特段の事情がある場合は格別、そうでない場合は、本件事故と相当因果関係のある損害とは認められないと解すべきところ、右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。また、右症状固定後の原告の休業は、原告の前記持病である変形性頸椎症の症状によるものであると認められるから、右休業による損害も、本件事故と相当因果関係のある損害とはいえない。この点からも、原告の右損害の賠償請求は理由がない。

二  後遺障害の内容及び程度

前記認定事実に基づき、原告の症状の推移をみると、当初原告に認められた頸部の疼痛、頭痛の頻発、目のかすみ、肩凝り、腰痛、両大腿の痺れ感及び膨張等の諸症状は、治療により軽快したが、その後も、頑固な頭痛が残り、原告も繰り返しその旨を訴えてきたこと、また、このような自覚症状以外に、原告には、脳波検査において、異常脳波(徐波成分)が散発的にあるいは連続して出現する結果が認められ、軽度の脳波異常という神経障害をも引き起していたことが認められる。

そうすると、原告には本件事故における受傷による後遺障害が存することが認められ、右障害の内容及び程度は、自賠法施行令二条別表記載の第一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するものと認めるのが相当である。

三  損害(争点3)について

1  後遺障害による逸失利益

(一) 証拠によると、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和一六年六月二日生であり、本件交通事故当時、立川バス株式会社において、バスの運転手として健康に就労し、本件交通事故前一年間(平成元年度)には、給与収入として四六〇万三二三六円を得ていた(弁論の全趣旨、甲三五)。また、原告は、症状固定日である平成二年一〇月一一日当時、満四九歳であった(弁論の全趣旨)。

(2) 右会社では、昇給制度があり、原告について、平成二年度から平成六年度までの間の昇給額は、平成二年度が一万六三〇〇円、平成三年度が一万六〇〇〇円、平成四年度が一万五七〇〇円、平成五年度が一万二七〇〇円、平成六年度が一万二〇〇〇円であった(甲三四)。

(二) そして、前記認定の後遺障害の内容及び程度(一二級一二号)を前提とし、原告には、前記症状固定後は、持病たる変形性頸椎症の症状が現れていたことなどを考慮すると、原告の労働能力は、本件交通事故による後遺障害により、症状固定日から五年間にわたり、その一四パーセントを喪失したと認めるのが相当である。

(三) そうすると、前記認定の数値を基礎に、原告の昇給を加味して、ライプニッツ式計算法により逸失利益の現価を算定すると、次のとおりとなる。

(1) 労働能力喪失期間である五年間の逸失利益は、二七九万〇一四五円である。

(計算式)事故当時の年収四六〇万三二三六円×労働能力喪失率〇・一四×昇給を加味したライプニッツ係数(五年で計算)四・三二九四七七≒二七九万〇一四五円

(2) 五年後である平成六年度までの昇給額を年毎の昇給にならすと、一か月一万四五四〇円(右昇給額の合計七万二七〇〇円÷五年=一万四五四〇円)となり、年額にすると、一七万四四八〇円(一万四五四〇円×一二月=一七万四四八〇円)となる。

そして、昇給分についての逸失利益の総額の現価は、三〇万六九六二円(昇給の年額一七万四四八〇円×労働能力喪失率〇・一四×昇給を加味したライプニッツ係数一二・五六六三九三≒三〇万六九六二円)となる。

(3) したがって、昇給を加味した原告の逸失利益の現価は、三〇九万七一〇七円(右(1)の二七九万〇一四五円+(2)の三〇万六九六二円=三〇九万七一〇七円)となる。

(四) なお、原告は、追加的に、副業である畳加工業による収入についても逸失利益として損害認定すべきである旨を主張するが、右副収入は、不定期かつ不安定なものであるから、逸失利益算定の基礎収入に加えるのは相当でないというべきである。

2  後遺症慰謝料

原告が、本件交通事故により被った肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料は、後遺障害分として二七〇万円とするのが相当である。

3  被害者の素因

被告は、原告の損害の発生について、本件交通事故だけでなく、症状の加齢による変化という素因が競合している旨主張し、原告も、加齢による症状の変化自体は認めている。しかしながら、原告がその根拠とする石田医師の前記意見書によると、原告の症状について、加齢による変化という要因が考えられるのは、症状が年余にわたり慢性化する場合であるから、原告の右主張は、平成三年以降、症状が慢性化したことに右要因が関係していることを認めるものと解される。そうすると、原告の症状固定日である平成二年一〇月一一日までの間における症状ついては、右要因を考慮しないのが相当というべきである。

したがって、原告の損害について、加齢による変化という被害者の要因による減額はしない。

4  労災保険給付の控除

原告が本件事故により被った前記1及び2の損害は、合計五七九万七一〇七円であるところ、原告が労災保険から支給された給付金のうち、障害一時金一四六万〇九四〇円及び症状固定(平成二年一〇月一一日)後の休業に対し支給された休業補償給付金二〇一万八三五〇円は、原告の後遺障害による損害を填補する性格を有するものであることを否定できず、被告の損害賠償と相互補完の関係にあるといえるから、右障害一時金相当額は、原告の損害額(後遺障害による逸失利益)から控除するのが相当である。そうすると、右控除後の損害額は、二三一万七八一七円となる。

しかし、障害特別一時金二〇万円及び障害特別一時金二九万二三四四円(合計四九万二三四四円)は、労働福祉事業の一環として、被災労働者の療養生活の援護等によりその福祉を増進するために支給されるものであり、被災労働者の損害を填補する性質を有すると解すことはできないから、これを原告の損害額から控除することはできないと解すべきである。

5  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告が本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人弁護士に委任しその費用及び報酬の支払を約していることが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対して本件交通事故と相当因果関係にある損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は二四万円と認めるのが相当である。

第四結論

よって、原告の被告に対する本訴請求は、前記第二、三、4の控除後の損害額二三一万七八一七円に弁護士費用を加算した合計二五五万七八一七円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である平成二年一月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、その余の請求は理由がない。

(裁判官 赤塚信雄 逸見剛 菊池絵理)

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